人間の存在論的探求と地域に関する一考察
-近代および現代日本との関連において-

小川 哲夫 (東京家政学院大学人文学部)


 



本稿は、M.ハイデガーが、かつて「存在と時間」(1927)で行った人間の存在論的考察を基礎にして、その地域科学における意義を考察するとともに、幕末・明治初年(19世紀後半)の激動期に生きた代表的知識人で り、言論人で った福沢諭吉を例にして、近代日本における「地域と人間」の関係を考察し、また現代日本において関連する課題を検討することを目的としている。
   ハイデガーにおける人間の存在論的理解は、「存在」ということは、ただそこに る、というよりは、人間の場で、人間の側からの存在作用が起こり、存在了解がなされるということで る。ここでは、近代科学における主体・客体の二分法の認識に対して、人間が時間的・空間的な制約のなかで生きているという実存的な存在条件と、人間本来の生きる姿を再検討する。
   人間は時間の中で生きるとともに、空間の中で生きる。そして周囲の自然環境(自然的・人工的)との交渉のなかで存在する。人間はまた同時に、社会の中で生きる〈共同存在〉で る。社会には、家族・集団のような小さな社会とともに、国家・地域・世界のような大きな社会とが るが、どちらにしても人間は他の人々と共同して生きる存在で り、ど
のようなレベルにしろ〈共同存在〉としての る宿命を背負って生きるもので る。ここでは各種の社会倫理の問題が浮かび上がってくるで ろう。ついで、われわれは、幕末・明治初年期に、福沢諭吉たちが直面した問題、およびそれから約100年後にわれわれ日本人が直面している問題について考察している。
 
 


A Consideration
On
the Ontological Study of Human Being and Region
-in relation to modern and contemporary Japan-

OGAWA Tetsuo
Tokyo Kaseigakuin University, Faculty of Humanities


 

        In this paper we try to study the meaning of M.Heidegger's ontological or existential thought in Regional Science, on the basis of his main book "Sein und Zcit (Being and Time)", and study the relation between region and human being in modern Japan in the case of Fukuzawa Yukichi, a representative intellectual and pressman at that time, who lived in a rapid changing world of the latter half of the 19th century, with the relevant problems which confront us now especially in contemporary Japan.   A key point of Heidegger's theory is that "Sein is gived in Dasein (human being )".    Here we reexamine the existential condition of human being in the restrictions of time and space (region), and the authentic living feature of human being.